昭和64年1月7日 昭和最後の日でした。
その日は朝から静まりかえり街から音楽や映像が消え照明も暗く、確かどんよりとした曇り空だったと記憶しております。
翌1月8日、当時の小渕官房長官が新年号「平成」を発表しました。
そんな年号が変わるという人生でも稀な経験をした年の3月10日に私たちは明治大学付属明治高等学校を卒業しました。その後の26年間には阪神淡路・中越・東日本など大震災が発生し、WBCではサムライジャパンが2連覇達成し、なでしこジャパンは女子ワールドカップを制覇しておりました。しかし、私達は一度も全員が一堂に会する同窓会を開かずに時が過ぎておりました。
そして、来年度の総明会総会・懇親会の幹事を担う私達は平成26年12月28日同期会 を初めて開催しました。4名の恩師にもご参加頂き総勢46名もの友人が集まってくれました。
26年の歳月は長く貴重な期間であるとともに非常に残酷で、多くの仲間の容姿を判別し高校卒業時の姿と照合するのに少しの時間が必要だったことは言うまでもありません。
しかし、そこは一生涯忘れることのない明治という名の元に数年間を一緒に過ごした友人で、固まった空気と強張った顔は瞬時に解け中学・高校に戻れるものです。
同窓会を企画してくれた齋藤雅信が用意してくれた卒業アルバムの写真や上原が隠し持っていた修学旅行の秘蔵映像を見ながら楽しい時間を過ごすことができました。
また写真を掲載した松平が着用していたMEIJIのバックプリントされたジャージは秀逸でした。
そして、同窓会では我々の同期会の名称を元号が変わった年に卒業したことから、元号を改める会「改元会」とすることを全会一致で決定致しました。
卒業時253名いた同期の仲間の多くは未だ連絡することすら出来ていない状況ですが、これから約1年間をかけて1名づつ仲間を増やし来年度の総明会総会・懇親会の幹事に楽しく挑戦していきたいと思います。
この記事を読んでくれた平成元年3月10日に一緒に卒業した明高生!是非!再び集まりましょう!いつでもお待ちしています!
杉山 純也