それは先生/今昔物語2

ここは軍隊か?力と力の真剣勝負

明治中学・高校に入学するには、難しい試験と厳しい競争を勝ち抜かなければならない。

中学受験者は小学校で、高校受験者は中学校で、それぞれ真面目な優等生だった、というのがほとんどだが、どこで何がそうさせるのか? ヤンチャな男子に育ってしまう。

そんな元気な男子と、正面から向き合うためだろうか?
とにかく先生方の気合や迫力も半端ではなく、ときに刺すか刺されるかの緊張感が漂っていた。

威嚇なのか、防衛のためなのか、ムチ(黒板を示す棒)を振り回す人、竹刀を持って授業する人、扇子を振り回す人、通信教育で空手を習う人など愛用の武器を携行したり、武術の技を磨いたりしていて、先生方も日々鍛錬していた。

決して忘れないチーター伝説の数々

そんな先生の中でも、ダントツで迫力があったのが、「チーター」こと松枝正弘先生だろう。

新入生が最初に松枝先生の洗礼を受けるのは入学式だ。司会進行である松枝先生の気合が入った号令に度肝を抜かれる。

「気をつけ、礼」の掛け声に驚く生徒がほとんどで、「恐ろしい場所に来てしまったのではないか?」と疑念を抱く。

そして、その不安な気持ちは雪の日に頂点を迎える。「上半身裸・裸足で・掛け声を上げながらのランニング」は、明大明治の名物として語り継がれているが、初めて見るものには、その光景は恐怖に満ちたものだった。

偶然にも、この様子を見てしまった受験生の父兄の中には、願書を出すのをやめた、という逸話が残るほどだった。

昭和晩年、松枝先生は体を壊し、筆者が直接指導を受けた頃には往時の迫力はだいぶ衰えていた。それでも整列中に一切の雑音が消えた緊張感は、決して忘れることはないだろう。

共学化のため?時代の流れのため?

当時の校内放送は、バラエティに富んでいた。先生から「来なさい」「来い」「出頭せよ」と怒り声で呼び出され、震え上がったものだ(ほかの生徒は大笑いだったが……)。

また、朝の校門で待ち構える生徒指導の先生方の圧倒的な存在感に、制帽を忘れてしまった日には、恐ろしくて近づけずに遅刻してしまうこともあった。

そんな迫力ある先生たちの姿は、もう見ることはない。共学化のためだろうか、時代の流れだろうか、それとも生徒が変わったのだろうか? 先生方の生徒との接し方は大きく変わった。

女子生徒を迎えるにあたり、先生たちは彼女たちとの接し方を研修し、現場視察や実習なども行った。

昭和の時代、最も怖かった一人である小西哲男先生が「コニタン」の愛称で、生徒とにこやかに接していた姿に、腰を抜かしたOBは多かったそうだ。

松枝先生

<コラム> 松枝先生

とにかく存在感があった松枝先生。あれほど緊張感のある時間を過ごすことは、もう永久に経験できないかもしれない。その反動で、ヤンチャをしてしまったという噂も……

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