明中生・他中生 / 今昔物語3

倍率は 11・4倍!どれだけ難関?

「100番落ちる」は、明治中学出身者が高校進学前に何度も先生から聞かされた言葉だ。

昭和晩年から平成にかけての明治高校は、高校から入ってくる生徒が、圧倒的に成績が良かった。

ちなみに、平成元年卒の生徒が中学受験したときの倍率は約5倍、偏差値は65あたりで、かなりの難関。決して簡単に入れるわけではなかった。

しかし、この学年の高校受験の倍率は約11.4倍(偏差値は71あたり)と、たいへんな狭き門。

「団塊ジュニア」と呼ばれる世代で、人口が多かったこともあったが、とにかく明治高校への受験は厳しい競争を勝ち抜く必要があった。

ちなみに当時の受験生は、多くは明大明治を第一志望にしていたので、合格者はほぼ入学した時代だった。

簡単すぎる授業がいけなかった!?

こんな難関を越えてきたのだから、明治中学出身者が100番、成績が下がってしまうのは無理もない。高校からの成績が良い入学組は、明治中学出身者とのレベルの差に、驚くことも多かった。

そればかりか、明治中学出身者の態度のデカさや、授業中のハシャぎっぷりには、さらに驚嘆させられたとか?「これが付属校というものか――」と、思い悩む者もいたと聞く。

そして、口を揃えるのが「高校1年の一学期の授業なんて、受験のときに終わっていた。授業簡単すぎ、レベル低すぎ」ということだ。

当時の先生曰く、「真ん中のレベルに合わせた結果」とのことで、護送船団方式が招いた結果のようだ。ここから慢心が生まれ、明治中学出身者との交流も深まり、受験での貯金も使い果たし、高校3年時には、マンガのように、すっかり馴染んでしまう者も少なくなかった。

今は中学出身のほうが成績が良い!?

現在の明治高校では、当時の時代とは逆転現象が生まれている。安藏伸治校長の話では、成績上位を占めるのは明治中学出身者が多いとのことだ。

これについて安藏校長はさまざまな分析をしていて「我々の教育が上がったのかもしれないし、公立中学の教育レベルが落ちたのかもしれない。慎重に見極める必要がある」とする。

いずれにしても、明治中学出身者にとっては 100人が加わること、高校から入学した者は前に古参 の150人がいることが、さまざまな面で大いに刺激になっていたことは間違いない。


<コラム>

どう呼んだ? 明中生、他中生

当時は気にしていたわけではないが、なぜ、あんな排他的な呼び方をしていたのだろう?高校からの入学してきた者のことだ。
当時、「新高Ⅰ」「他中生」が一般的な呼び方だったが、いろいろ年代によって呼び方が微妙に変わっていて、「外中生」「外部生」など、どこかの傭兵部隊のような呼び名も存在した時代もあった。
現在では「高入生」という呼び方で統一。ちなみに明中出身者は、「内進生」という呼び方が一般的だそうだ。
ところで明治は中学と高校だけだが、幼稚園や小学校もある青山や慶應はどう呼ぶのだろう。誰か知っている人いる?

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