別の学校に見えても紫紺の血は受け継がれる(まとめ)/今昔物語14

強く逞しく豪快に泥臭く、おおらかな時代

中学・高校生活は人生で一度しか味わうことはできない。我々が明大明治で過ごした 6年間もしくは 3年間は、ほかの中学生・高校生と比べると、どう違っているのだろう。気になって大学や会社の同期に話を聞くと、彼らは受験を控えていたからだろうか? 楽しいエピソードを持つものは少なく、高校時代の友人関係は希薄だという。
高校時代の話を楽しそうに話す我々を、不思議そうな目で見る。あの時代の我々は、熱く・ヤンチャに・全力で高校生活を過ごしていたことに、大人になって初めて気付いた。
団塊ジュニアと呼ばれる我々の世代は、人が多く、何をするにしても競争が激しかった。また『少年ジャンプ世代』とも言われ、「友情・努力・勝利」をテーマに「男子は強く逞しく豪快に」が謳われていた。実に泥臭く、おおらかな時代だった。
あの時代の、あの文化・風習はもう二度と戻ることはないだろう。寂しい気持ちはあるが、思い出の中にそっとしまっておくことしかできない。血が騒いだときは、そっと同期で集まって、酒の肴にすることで鎮めることしかできない。

話して気付いた同胞の匂い

 そんな思いを胸に、初めて調布校舎に訪れると、その広さと開放感に、ただただ驚くばかりだった。ピカピカの校舎、しかも共学。昔を知る先生方に話を伺うと、一様に口を揃える「それはまったく変わったよ。やっぱり共学になったからね」と。
詳細を知るために、最近卒業した後輩たちからも話を聞いた。学校行事や名物先生については一致するものが少なく噛み合わなかったが、ふだんの学校生活の話になると、なぜか親近感が沸いた。うまく説明できないが、「同じ匂い」がしたのだ。
これは打ち合わせが全員男子だったからだろうか、それとも男子校時代を経験している者がいたからだろうか?
「まったく別の学校」という認識とは、ちょっと違ったものだった。
「強いものが生き残るのではない。変われる者が生き残れる」という言葉がある。明大明治は、時代に合わせて変化し生まれ変わり生き残ったが、その DNAは消えていない気がする。
今でも紫紺の血は脈々と引き継がれているのではないかと思っている。

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