卒業式すごろく/今昔物語13

この日のために制帽は存在した!?

 制帽が存在した昭和から平成初期の時代、防衛大学のように、卒業式終了と同時に制帽が空に舞い上がるのは、明治高校卒業式の風物詩だった。
 この卒業式の制帽投げ、いつの頃からか徐々に派手になり、制帽が宙を舞うと同じくして、紙テープや紙ふぶきが舞うようになった。そんな風景を見た下級生は、翌年さらに派手にしようと、徐々にエスカレート。
 クラッカーが鳴り、さらに爆竹が鳴りと賑やかになり、制帽投げイベントは明高生にとって、高校生活最後の一大イベントとして定着した。

平成に入り最高潮行き過ぎに歯止め

 そしてこのイベントは、平成元年の卒業式でピークを迎えた。年々エスカレートしていることに頭を痛めた先生方は、歯止めをかけるために、「卒業式で爆竹を鳴らさないように、紙テープを投げないように」とリハーサル時に忠告していた。
 しかし、当時の明高生は、「やってはダメ」という言葉をそのまま受け止める人は少なかった。当時、校則は厳しかったが、「お目こぼし」も多かった時代だ。こうした経験と実績を踏まえると「やってはダメ」は「うまくやれ」という意味だと理解していた。うまい具合にやればOKと受け取った高校3年生は大いに知恵を絞った。
 そして記念すべき平成元年の卒業式での制帽投げは、新時代の幕開けにふさわしく!? 過去最大に派手に行われた。
 卒業式終了時どころか、卒業式の真っ最中にも爆竹が暴発。もちろん、卒業式終了後の制帽が高く宙を舞うときにも相当量の火薬が投入された。卒業生たちは、何故か 1人1つ紙テープを持っていた。約 250個の制帽と、紙テープが一斉に天を舞う姿は壮観だった。卒業生にとっては、最高に「うまくいった」卒業式で、父兄からの評判も上々だった。
 しかし、先生方の評価はイマイチだったようで――。この「事件」以降、卒業式は厳戒態勢となってしまった。とくに翌年は、卒業生入場前に持ち物チェック、ボディーチェックが行われる念の入れ様。開催前の体育館は完全ロックアウト。ネズミ一匹近づけないほどのセキュリティチェックが実施され、昔の卒業式に戻ったのだった。
 そんな卒業式の風物詩も、この年(平成元年)の9月に制帽廃止が決まり、徐々に消えていった。制帽を持っていた学年が卒業した6年後には、完全に消滅した。そして現在では、ごく普通に、おごそかに、卒業式らしい卒業式が行われている。


←あの平成元年の卒業式のあと、保坂校長(当時)は校長室で感動のあまり涙を流していたとか? いやぁ~、最高にうまくいった卒業式でした・・・・・・

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