嗚呼、人生一度きりの幹事学年(まとめ) / What’s 総明会

何もかもがわからないその疑問が企画に!

実家に送られてくる総明会の会報誌、これが一体何なのか、実は昨年までまったく知らなかった。
誰が何の目的で作っているのか、そもそも明治大学のものなのか、明治高校のものなのかもわかっていなかった。開けて読んだ記憶は、ほとんどない。実家を離れてからは、手にする機会も失われていた。大半の同期が同じ状態にあった。
総明会の存在を、はじめて知ることになったのが昨年。そして「幹事学年」と言われて、何もわからぬまま活動を始めて驚きの連続。
さまざまな謎にもぶつかった。
資金源、活動内容、人間関係、各種制度など、疑問点は多岐に渡った。
そんな疑問について、簡潔に触れてみたのが今回の企画だ。すでに幹事学年を経験された方々は、懐かしく思うことだろう。これからの後輩たちは、何のことかわからない点も多いだろうが、きっと理解する日が来るはずだ。

10年後のことは10年後の幹事学年で!

幹事学年制度というものは、実にユニークで建設的なアイデアだと思う。こうしたキッカケがなければ、永久に再会することはなかっただろう同期がたくさんいる。
また、親子ほど離れた先輩や後輩に会う機会もなかっただろう。そんな機会に巡り合えたことは素直に感謝したい。

我々の同期は、さまざまな課題を抱えながら何とかゴールが見えてきた。たくさんの無理を重ねたが、これまで順調に準備は進んでいる。
そんな日々を送りながら、少しだけ来年以降のことを考える余裕ができている。そして胸に去来する思いは、「この制度は未来永劫、続けられるのだろうか?」ということだ。10年後、20年後に、これだけの人と金と労力を結集できるのだろうか?
当初は「今年をどうする」ことだけが話題だったが、気が付けば、総明会の存続やあり方について語ることも増えてきた。これが「紫紺の血が流れている」ということだろうか?
だが、先のことを心配するのはお節介なのかもしれない。
10年後のことは10年後の幹事学年が決めればいい。そのときどんな決断があるのか、そのとき我々は何ができるのかを楽しみに待ちたい。
ひとつ言えることは、こんな経験は一度きりでいい、ということだ。やり切れなかったこともないわけではないが、一度きりだから燃えるのだ!

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