棒倒志(体育祭)/今昔物語7

棒倒志 -  明大明治今昔物語(会報2016 )

「棒倒志」が奏でた男と男の狂詩曲

 選手入場前から血気盛んな輩は、すでに相手を挑発して戦闘モードに入る。
 入場の際には、メガネをかけた者は本部テント前に静かに置く儀式を行う。
 スタートの号令と共に、男たちは一直線に一本の棒に突撃。競技と関係ない場所で行われる小競り合い。その中に割って入って争いを止める先生たち。討ち死にしてグラウンドに横たわる、名も無き戦士たち。
 調布市・つつじヶ丘グラウンドで行われていた体育祭のメインイベントは棒倒しだったことに異論を挟むものはいないだろう。

草むしりから始まる秋の大イベント

 学校全体の、体育祭に賭ける思いは半端ではなかった。
 体育祭数日前に、 1日かけて行われるグラウンドの草むしり。本番さながら行われるリハーサル。そしてピタリと揃うまで延々と繰り返される入場行進の練習。
 生まれた季節によって四季別に分かれて争われるシステムは実に秀逸で、四季別に応援歌を割り当てられて何度も練習するために(春:紫紺の歌、夏:血潮は燃えて、秋:紫紺の旗の下に、冬:都に匂ふ花の雲)、自然と自分の生まれた季節の応援歌は習得できてしまった。

危険極まりない棒倒し競技の行方

 なぜか他の学年の競技に借り出されて、 1日中競技に参加している者がいる一方で、最後まで観客のままの人もいた。
 ほかにも、途中でルールが変わってしまう長距離走競技、昆虫採集に励む人、やたら張り切っている体育教師たちなど、たくさんの想い出が蘇る。
 何もかもが懐かしい、あの体育祭は、 2006年のつつじヶ丘グラウンドの売却と共に幕を閉じた。その後も明治大学・和泉校舎グラウンドで開催された時代もあったが、棒倒し競技はプログラムから消えていた。
 調布に移転した今は球技大会に形を変えて、若いパワーをぶつけ合っている。

<コラム>

棒倒志とは?

 天下統一を果たした豊臣秀吉が、全国の大名たちを集めて競わせたのが始まりといわれる。
 戦国時代終盤、血気盛んな大名たちは合戦を求めたが、天下人・秀吉は平和に解決する手段として考案。
 そそり立つ棒を敵の大将と見立て、棒を倒す=大将を討ち取ったものが勝者という合戦さながらのルールが受けて、武士の嗜みとして全国に広がった。
 1589年には大阪城で第1回全国大会が開催された。なお、第1回の優勝者は真田幸村(信繁)軍で、ここから「真田、日本一の兵」の言葉が生まれたという説もある(民明書房刊、『絶・体育競技指南大全』より)。

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