勢いなら負けない!アタック精神抜群
「女子禁制」の明大明治の掟が破られる日――。血気盛んな男子生徒にとって、唯一にして最大のイベント、それが文化祭だ。
千代田区猿楽町の近くは、とにかく女子校が多かった。最も近い「神女」をはじめとして、いくつ女子校があっただろうか?
そんな女子が、大挙して押し寄せてくるものだから、健康な男子であれば、それはもうハシャがないほうがおかしい。
文化祭前は散髪して、ワイシャツにアイロンをかけて身だしなみもスッキリ、万全の準備で当日を迎える。
周囲の雰囲気と勢いも手伝って、ふだん発揮されない勇気とパワーがみなぎり、「面識のない者に対して、公共の場で連絡先交換に誘う行為」、すなわちナンパに精を出したものだった。
ナンパよりもドキドキのイエデン作戦
訪れた女子高生たちも、おそらくは「出会い」目的で来ているので、電話番号を聞きだすことは決して難しいことではなく、5人・10人当たり前だった。しかし、当時の状況から、ここから先に進むのは難儀だった。最大の関門がお誘いコールだ。
当時は携帯もメールもない時代。「家に直に電話」、通称:家電(イエデン)しなければならない。
母親が出るのはまだ良い方、父親が出て切られる・問い詰められる、姉妹になりすましされるなど、ナンパ以上に困難で、ドキドキする瞬間だった。
あの時は勢いは?2人きりには滅法弱い
さらに問題は、実際にデートに誘ってからだ。文化祭中は20人・30人と声を掛けているので、もはや名前と顔が一致しない。待ち合わせ場所で誰かわからない。
加えて、最も大きな問題は、文化祭の勢いはすっかり消沈していることだ。女性に免疫のないシャイな(人が多かった)明高生は、女子とどう話せばよいのかわからず、盛り上がりのないデートに終始した。
制服でデートするのが夢だった、という人が多かった時代。男女が話しながら歩いている、今の調布校舎の様子がほんとうに羨ましい――
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<コラム>
家電(イエデン)トラブル事件簿
“家電(イエデン) ”してのトラブルの多かった当時だが、その中でも最高傑作が以下の事例。
「父親が出て、正直に『明治高校の鈴木(仮名)』と名乗ったら、『明治って、中野か明治か?』と聞かれた。御茶ノ水の明治ですと言ったら、繋いでくれた」というもの。
あくまでも予想だが、父親が明高OBか、兄弟に明高がいたんじゃないのかな?
なお、こうしたドキドキイエデンがなくなるのは、ポケベルの登場まで待たなければならない。ポケベルが大流行したのは1993年(平成4年)、もう少し先の話となる。
← 販売当初、メッセージは数字だけだったが、やがて短文も送れるようになった。公衆電話から日本語メッセージを送るには、高度な暗号技術が必要だった
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