D組 横山晴之先生 / 27年後の訓示

 横山晴之先生はD組の担任を担当。高校 3年に進級してから初の顔合わせという巡り合わせだった。大学推薦がかかった1学年のため、テストで点を取ることに血眼になっていた 1年だった。そんなときに、横山先生は「ここは出そうな気がする」などと、ボーナス発言を連発。大いに救われた記憶がある。
いつも柔和な笑顔で丁寧に授業を進めた横山先生は、今回の取材でも丁寧に受け答える様子が印象的だった。

「壊す」のが得意な素直でわかりやすい生徒

男子校だった時代全般に言えることになりますが、とにかく活発だったという印象です。活力がみなぎっていて、そのパワーがさまざまな方向に向かって、いろいろなものを壊してくれたなぁ、という想い出があります。器物だけではなく、規則も(笑)。
良く言えばバイタリティーがある、悪く言えば悪ノリという印象もありました。いたずらも多く、今とは全然違う苦労をしたなぁ、と思います。
ただし分りやすい生徒が多かったという印象です。例えば悪さをしてガツンと怒ると、素直に反省するので、本気になって怒っていました。
私が若かったからかもしれませんが、お互い心の奥で理解できていた気がします。

無理が利かなくなる時期身体と家族を大事に!

私がちょうど40代半ばの年齢だった頃に、ある先輩の先生から、「これから残り半分の人生、よく考えて生きた方がいい。とくに体力と健康」と言われたことがありました。
そのときに私が何をしたというわけではありませんが、今になってみると、とても大切な言葉だったと実感しています。
月並みな話かもしれませんが、健康には十分に気を遣ってください。どう生きるにしても、体に異常がなく暮らせるというのは、最も大切なことです。
仕事上、今がいちばん活躍できる時期かもしれません。しかし、体力的に無理をすると結局、効率が悪くなるものです。健康あっての仕事ということを、よく理解しておいた方がいいでしょう。
そしてその健康は、自分ひとりだけのものではないことも理解しておいてください。家族を支えるためにも、健康管理は十分に行ってください。

27年前の訓示(卒業アルバムより)

10年後、20年後 ……、この卒業アルバムを開いたときも、明高魂を忘れずに、明治高校 OBとして何事にも全力で誇り高く頑張ってください。


★取材こぼれ話

この「27年後の訓辞」の原稿を執筆するなかで、実は、もっとも苦戦したのが横山先生でした。その理由は、圧倒的に取材時間が短かったからです。横山先生は急用のため、与えられた時間は約15分。そのうち半分は想い出話になってしまったため、取材らしい取材は、実はほとんどできませんでした。
そんな「浅い取材」で、原稿にした自分を褒めたいほどです。

ということで、こぼれ話は、あまりないのですが――。横山先生の第一印象が、当時と全然変わっていないことに驚きました。話し方も当時のまま、体型も変わらず、肌艶(はだつや)も60歳手前とは思えないほど良く、ついでに髪型・髪量も当時のまま(^^)
自身でおっしゃっていた通り、摂生して、健康・体調には気を遣っているのだな、という印象を受けました。本人は「ちょっと血圧が高いかな」「テニスをするぐらい」と言っていましたが、それなりにケアされているのでしょう。

我々とは1年だけの付き合いだったので、まったく覚えていない様子でしたが、「その頃」の思い出は豊富でした。「男子校だったから」という前置きとともに、元気で活発で悪ノリが過ぎた、という話に終始していました。あの穏やかな横山先生も、当時はずいぶん怒鳴ったそうです。

優しく真面目そうで、清潔感もあり、収入だって良いし安定している。男から見ても「いい人」ですが、現在も独身を貫いているそうで・・・。
明治の先生(男性)には独身者が多いようですが、これはポリシーなのか、「出会い」がまったくないからなのか、先生という職業が敬遠されているのか・・・、果たしてどれだと思いますか? まぁ、大きなお世話ですかね ^_^
(Tanaka Junji)